2025年5月11日文学フリマ東京40にて頒布したZINE「星、鏡、あるいはあなた」に収録した一編です。
アイドルが音楽を真剣にやると持て囃される。それが2025年における現状で、SixTONESのオタクをやっていれば、“他とは違って実力がある”から好きになった、みたいな表現はかなり頻繁に見掛ける。私はその度に、お前が今まで見てこなかった/見ようとしていなかっただけで、どんなアイドルも自分の歌とダンスに真剣に向き合ってきたはずだ、と言い張っている。SixTONES(ここには実力派と言われがちなアイドルすべて代入可能だ)はお前がアイドルと出会うきっかけになったかもしれないし、お前にとって初めてのアイドルかもしれない。確かにSixTONESは最高のアイドルではあるけれど、“他のアイドルと違って”すごいのではなく、たまたまお前の目に入ったのがSixTONESだっただけだ。
本来アイドルが音楽に真剣に取り組むのは当然のことで、私が今まで存在を認識したアイドルの中に、音楽に真剣でない者などいなかったと思う。楽曲を解釈してパフォーマンスに落とし込むには音楽に対してそれなりの熱量が必要で、オリジナル・アルバムを出すこともまた相当にハードな作業であり、そうでない者はとうの昔に嫌になって辞めているだろう。アイドルの音楽に対する熱量つまりは真剣さは、非アイドルオタクの皆さんが“発見”するずっと前から存在していた。
さて、余計な話をいろいろしたけれど、ここではアイドルとその音楽の関係についてSixTONESを例にとって考えてみたい。
アイドルの音楽に対する批判で最も典型的なのは、「自分で歌詞を書いていない」という意見だ。アイドルは、自らのソロ楽曲を中心に作詞や作曲を手掛けることもあるけれど、大抵の場合は作家から提供された楽曲を歌う。この指摘は事実であり、それがアイドルに興味を持てない要因になる人も、もちろんいるだろう。
しかし、自分で歌詞を書かないという要素は私にとってはアイドルの面白さ、醍醐味でもある。他者から与えられた言葉を歌う行為はそう簡単なものではないはずだし、自ら生み出した詞を歌う行為とは別の表現力が必要だと私は考えている。SixTONESは元を辿ればドラマのために集められた集団だが、2025年現在においても6人全員がほぼ毎年何らかの演技仕事をしている。実際、俳優業の後に歌唱をはじめとしたパフォーマンスに変化を感じることは少なくない。つまり彼らにとって、パフォーマンスにおける表現力と俳優としての表現力はバラバラに存在するものではなく相互作用をもたらしているし、双方に共通した何らかのスキルがあると推測できる。
アイドルとしてのパフォーマンスは、ある意味で演技の一種でもあるのだろう。これはスラングとしての“演技”ではないし、嘘とかそういうことでもない。アイドルは自分も含めた他者の解釈を乗りこなす存在であり、そのためには表現力が必要だ。
SixTONESはシングルのカップリング楽曲、そしてアルバムに収録する楽曲について、自分たちで選びアレンジに細かいオーダーをすることもあるという。一方で、シングルの表題やタイアップのつく楽曲はその限りではないし(ある程度彼らの意思を反映できる場合もあるようだが、その自由度はカップリングやアルバムほどではないだろう)、彼らが楽曲を選ぶデモ段階では大抵の場合は歌詞までは入っていないらしい。
つまり、私がこの歌詞SixTONESにピッタリすぎるとかキャッキャしているそれは彼ら自身のオーダーの直接的な結果ではなく、作家の能力の賜物である可能性が高く、同時に彼らのパフォーマンス力の結実なわけだ。パフォーマンス力についてもっと噛み砕くとすれば、SixTONESというグループに対する解釈、SixTONESとしての自らに対する解釈、楽曲に対する解釈、そしてそれらを歌唱も含めた身体表現に落とし込むスキルだといえる。
『フィギュア』という楽曲がある。デビュー2年目の2021年夏に発売された常田大希提供『マスカラ』に収録されたカップリング曲で、ボカロPおよび作詞・作曲家として活動し、自らもアーティストとして楽曲を発表しているくじらに提供された曲だ。リリース以降のライブでも比較的頻繁に歌われ、ファン人気の高い楽曲に入るだろう。
汚れていくだけの街でずっと僕ら暮らしている
正しさの周りで頭を抱えている
たおやかに番を待つ僕らずっとこらえて生きている
隠してた心はもう見つからないな
裏切らないものを僕らずっと探して生きている
正しくあればいい、後悔のない生き方で進もう
いつも振り返る度うなだれる
その足跡を消す度
どこかへ行こう、そのための花束を
ショーウィンドウに並ぶ僕ら
代替不可であれよフィギュア
あるがままで
フィギュア/SixTONES
この曲について、リリース当時の私は「現時点でのSixTONESがこの曲を歌うこと」について解釈違いを起こしていた。というのは、彼らはもはや自分の在り方と戦っているのではなく、世間に対して代替不可能性を証明する段階にいると考えていたからだ。裏切らないのは自分しかいないし生まれ変わりなんかあてにならず、他人の言う正しさなんて関係ない、というのがSixTONESらしさだと思っていたし、今も思っている。あときわめて個人的なアイドル観だけど、勝手に裏側を想像して“アイドルという業の深いシステムとそれを楽しんでしまっている自分”に酔っているアイドルオタクが嫌いなので、そういう文脈で曲とグループが使われるのも嫌だった。アイドルというシステムには改善の余地があり、それは人間の努力によって可能な範囲であり、罪悪感で気持ち良くなっている暇なんて無いからだ。でもこれ自体は曲の責任じゃないから、完全に余談です。
そういう経緯があって、『フィギュア』という曲に対して複雑な気持ちを抱えつつSixTONESのファンをやっていた。しかし、その後の現在に至るまでのSixTONESのインタビューを読んでいくなかでこの曲に対する解釈を改めた。2024年以降のSixTONESは特に自信に満ち溢れているように見えるけれど、逆に言えばそれまではそうではない部分があったということだ。やっぱり、人間だし仕事だからいつだって不安は付き纏うものなんだろう。私はそれについてどうすることもできないし、必要以上に感情移入することもしないし、『フィギュア』を近年のライブのセットリストに組み入れていた理由も分からないけど、彼らにとっては必要なことだった。当時の私に受け入れ難かったのはSixTONESがずっとSixTONESらしかったからで、くじらがこういう歌詞を書けたのはファンである私とは違うところを見ていたんだろう。
実際、彼らにとって裏切らないものが何なのかも分からないし、絶対オタクを辞めないと言い切るのは流石に難しいから、代替不可であれよという言葉に確かな応答をすることはできない。でも、私にとってSixTONESはずっと代替不可だ。そう心から思えるのは、私がファンだから。『フィギュア』という、もしかしたら彼らにとってリアルだったかもしれない歌詞に、ファンだからこそ代替不可だと言えるのかもしれない。それが「花束」ってこと?じゃあこれからも大声で言うからな。
そういえば、『フィギュア』がリリースされた頃はまだここまで仲良くはなかった気がする。SixTONESはずっと仲が良いけど、デビュー後のライブを含めた音楽活動をやっていく中で自分たちに対する自信を補強していき、それと並行していく形でお互いの手を握り直したのだと思っている。私はずっとSixTONESのことを信じているし、それは彼らにとってもそうだろうけど、材料を集めていく段階に生きていたんだろうな。ファンとして見える姿とそれが食い違うのは当然のことだろう。
『フィギュア』後に与えられた解釈についても見てみよう。『オンガク』は、『フィギュア』の約1年後にリリースされた『わたし』のカップリング曲だ。この曲を手掛けた佐伯youthKは、デビューシングルのカップリング曲だった『NEW WORLD』以降いくつもSixTONES楽曲を書いてきた。現時点でSixTONES最大のヒット曲である『こっから』や彼ら自身の絆について歌った『音色』なども佐伯youthKによる作品で、歌詞に滲み出るSixTONESへの愛と解釈にファンである私すらも圧倒されるような熱量を持ち、SixTONESの音楽性を語る上では欠かせない作家だ。
愛や恋も飛び越えて Flyer
僕らに理由なんていらないや
傷付いたことだって 悔やんだことだって
未来のためのチューニング
時代や老いも君と見たいな
僕らならいける気がしてんだ
飛び越えてしまいそうさ この高鳴りまで
ほら手を取って 明日へ
オンガク/SixTONES
『オンガク』は、「“音楽”に対する溢れる愛と感謝を歌った、POPな“音楽LOVE”ソング」だ。一聴するとSixTONESとしてはかなり珍しい、明るくてまっすぐなラブソングなのだが、その宛先はファンではなく“音楽”であるところがSixTONESらしく、面白い。そして“音楽”に対する愛と言いつつ、同時にSixTONESについて歌っていることは明白だ。音楽を愛するということは、SixTONESであるということ。『オンガク』の歌詞はオタクの願望であり、本人たちにとっても祈りのこもった内容だろうが、佐伯youthKという第三者のフィルターを通しているからこそ成立する曲だといえる。
SixTONES自身ですら、SixTONESらしさを一言で説明するのは難しいだろう。でも6人も人間が集まって長い時間を過ごしているのだからそれは当たり前だ。ブレない軸を持ちながらも常に他者の視点を取り込み、アイドルというシステムを乗りこなしているのがSixTONESであり彼らの音楽性だと私は思う。他人に与えられた解釈だからこそ、6人それぞれが距離を持ってSixTONESらしい曲を選び作り上げることができる。
SixTONESは俺らじゃないんです
……ちょっとペン借りていいですか?(と、『ST』と書き入れた大きな円の外側に、取り囲むように小さな6つの円を描く)
俺にとってSixTONESは概念、信仰的な何かで、俺らはそのために
集められた6人っていう感覚なんです。で、ファンも俺らと一緒に、SixTONESを囲んでここにいるっていう
CUT,2022年1月号,ロッキング・オン社
何度も引用して申し訳ないけれど、田中樹のSixTONES概念説は具体的に言えばこういう構図を指しているのだと思う。SixTONESはある意味では自分たちではない、という指摘の鋭さに惚れ惚れする。
アイドルの駆動に必要なのは他者という燃料だ。アイドルが音楽を真剣にやるのは当たり前で、彼らはSixTONESで在り続けるためにも音楽に真剣に取り組んでいるんだろうな、と思うことがある。そういう生々しい人間関係の上に構築された音楽だから、多少の解釈違いはあってもSixTONESの曲は全部好きだと断言できる。出す曲全部好きってこと、そんなになくないですか?SixTONESって、最高で最強のアイドルなんですよ。