その眼差しの彼方まで

アイドルと音楽と日記

230701

インターネット上での私を語るときに、一番に出てくるワードは倫理観だろう。これは自覚があるだけでなく、私のことをある程度知る人からは選ばれる言葉だろうという確信に近いものがある。

 

私は倫理を保とうとしている。せめて誰かの前だけでは。あなたといつか目が合う日まで、私はできる限り知識を深め、あなたが振り向くのを待っている。

 

正義感という言葉はしっくり来ない。インターネットミームとしての「正しい」はたまに使うことがあるが、倫理を語るときには「正しい/正しくない」というジャッジが好きではないし使わない。「価値観のアップデート」も嫌いだ。この言葉を良い意味で使っている人は、二度とTwitterのアプデに文句を言わないで欲しい。私もあなたも、私とあなた以外の誰かも、価値観よりずっと先に、前にいる。かれらは、私やあなたが気付かずにこの社会を歩いてこれた日数よりも、私やあなたが生まれてからの日数よりも、ずっと多くの時間を生きている。

 

アイドルについての諸々を書くブログでいきなり何故こんな話をしているのか。

読者の中にジャニーズのオタクがどれだけいるのかは私には分からないが、何か忘れていないか。

7月1日付で、ジャニーズ事務所社外取締役が就任した。長い社史の中で初めてのことである。

 

ジャニーズ事務所の前社長である故ジャニー喜多川による性加害問題について、Twitterやそれに準ずる外部サービスでは度々発言してきた。ジャニオタを名乗っているアカウントとしては割と発言している方に入ると思う。それでもこのブログでは言及を避けていた。開設から3年以上経ったこのブログには、ありがたいことに100人以上は読者がいて、経路がよく分からないアクセス増加がたまにある。このブログに自分のまとまらない気持ちを書き殴って責任が取れなくなる可能性と、それによって自分のメンタルにダメージを受ける可能性を、私のなけなしの倫理観を相手に天秤にかけた結果、それまで使っていなかったnoteにまとまらない気持ちをぶつけることになった。それが5月半ばのこと。

 

BBCのドキュメンタリーが放映されたのは3月で、それ以降に私はこのブログで8件記事を書いた。新曲を盛り上げたくて、ドームの話がしたくて、アイドルのことが好きで、特に先月は言葉が溢れ出てきて4本もアップした。その間もずっと、このブログで何も言っていないことが引っかかっていた。

前述したように、私は正しい/正しくないというジャッジが好きではない。正しくありたいわけじゃない。ただ、明らかに間違っていることはあると思う。間違っていることをひとつひとつ見直すことから全てが始まると考えている。

この基準に照らせば、ジャニーズのオタクとして書き続けているこのブログで性加害問題について語らないことは「明らかに間違っている」訳ではないだろう。様々な判断の上に何も言わないことを選択している人がたくさんいるのも分かっている。私がこの記事を書いたところで世界が変わるわけじゃない。それでもずっと、やはりブログとして書かなければならないと思っていた。

 

同時に、消費者として、社会の構成員としてアイドル業界が孕んでいる問題について考えるのは必要なことだと思っている。楽しいことだけ考えていたくて逃げたくなる日もあって、本当に疲れているときはそれだけのときもある。それでも自分ができる限り長く楽しみたいがためにできることがあるし、それらは両立できると信じている。

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どうか、彼らが不要な傷をつくらずに、やりたいことに専念できるように、そんな明日があることを願っている。自分の生活をやりつつも、自分の欲望のために、彼らの未来を見たい。そのためにできることを、そしてやるべきことを、私はこれからもやっていこうと思います。

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好きなアイドルのことを語る記事の合間に、性加害問題を始めとした彼らが置かれている環境を念頭に書いた部分を挟んだ。ぼかし過ぎて、遠回し過ぎて、私の想いを汲めた人はきっと居ないだろう。甘えと倫理の間で揺れながら、どうにか倫理の方に杭を突き立てるような気持ちで書いた。

 

事務所に所属するタレントが、社名変更について言及した。その頃までは私もTwitterでこの問題について意識的に話すようにしていた。その少しあとに、長年ニュース番組でキャスターを務めている彼が口を開いた。番組の判断も、彼の言葉も信用できるものだと思った。同時に事務所への失望が重なった。もうインターネットでは何も言いたくなくなっていた。それ以降、私のタイムラインでも直接的には話題にのぼらなくなった。進展がないからだ。先週にはまた別のタレントが海外メディアのインタビューに社名を出さずに答えているのを聞いた。今日付で社外取締役が就任した。何かが動くのだろうか。そう思っていた矢先にまた、ゲンナリするニュースが入ってきた。

 

今もこんな記事をインターネットに大公開して何になるんだろうと思いながら、大型音楽番組に盛り上がるタイムラインを尻目に、労働後の電車で泣きそうになりながら書いている。

私は傷付きたくない。私の話を聞く気がないあなたに傷付けられたくない。私の想いを知ろうとしないあなたに読ませる文章は無い。それでもいつか、あなたと目が合う日を待っている。私はロマンチストで、社会のことを知らず、考えが甘い。

先程引用した過去記事を読んでも分かる通り、結局自分の為である。これからもジャニーズタレントがつくるエンタメを楽しみたい。ジャニーズの曲を聴いて育ってきた。この件以外でも事務所には消費者として散々舐められてきた経験があるにも関わらず、未だに強い言葉で非難を書くことが難しい。私は甘い。

 

5月にnoteで書いた通り、BBCのドキュメンタリーから今日に至るまで、事務所から出されたものを除いてほとんどの一次情報を読んでいない。告発にあたって開かれた会見の発言を切り取ったツイートは読んだが、性被害についての情報を読むのはしんどくて、告発者の発言はほぼ追い切れていない。これは私の精神衛生のためである。クローズアップ現代は観た。そのくらいである。

 

それでも、これだけ悩みに悩んでもなお、性加害問題について書いておきたいのは、告発者やタレント・元タレントへのバッシングや、陰謀論や保守的な言説と結びついて人権侵害にあふれたインターネットのどこかにいる、私と同じように何かを感じている誰かに届けばいいと思っているからだ。

改めて書く。告発そのものと告発者の素行は別であり、賛成も反対もクソもない。人権が先にあり、仕事はそれよりもずっと後にある。性被害者の発言の矛盾は後遺症の可能性があるし、発言力の圧倒的な差を無視してはいけない。そういう前提を共有しないあなたとは話せない。ジャニーズを叩きたいという一点のみでここぞとばかりに首を突っ込んで、被害者のことを考えているわけでもなくただただ燃やしたいだけのあなたとも話す気はない。性被害者への偏見を育ててきたこの日本社会の構成員として反省する態度もなく、他人事として石を投げているあなたに渡せる言葉はない。

インターネットで議論はできない。前提を共有できなければ議論はできない。前提を共有する気がないあなたとは会話ができない。前提を共有していなくても誰かが真剣に語る言葉を茶化せる。いっちょ噛みできてしまう。インターネットはそういう場だ。

 

泣きそうになって、吐きそうになりながらこれを書いていて、合間に聴いた彼らの歌で笑っている。ずっと笑っていたいのにね。でも私は私の痛みを嘆くのではなく、被害に遭ったすべての人が適切なケアを受け心安らかな毎日が送れること、特にJr.をはじめとしたタレントたちが今後も適切な環境で活動を続けられることを祈っていく。そのためにジャニーズ事務所、芸能界、メディア、そしてこの社会には果たすべき責任がある。社会の構成員として、事務所の今後の対応に注目し、やるべきことをやれる範囲でやる。その手始めとして、この記事をTwitterのように流れていかない場に置いておく。

そしてあなたといつか目が合って話ができることを願っている。私はまだ諦めていない。これが私の悪いところであり、良いところでもある。