その眼差しの彼方まで

アイドルと音楽と日記

自担のいない土曜日

自担がいつか言っていた。

歌って踊ること自体じゃなくて、それによってファンと時間を共有することが大事。

アーティストやダンサーと違って、オレたちはファンと時間をシェアするために歌っているんだと思う。*1

アイドルの定義は何だと思うか、という問いに対する答えだった。デビューツアーが途中で中止になり、2ndシングルの発売が延期になり、そういう時期に取材されたものだと思う。

 

自担を含めたメンバー3人の感染が発表されたのは、1月28日の金曜日、YouTubeの更新より少し前だった。

年末年始から少しずつ増えていた感染者数は、1月の中頃には東京で過去最多をマークした。

事務所からも感染の知らせが来るようになって、21日に予定されていた同時デビュー2周年を祝う旨の、誰が嬉しいのかよく分からない配信イベントも中止になった。

自担の感染が知らされた日の夜、YouTubeの更新の少しあと、フォロワーとスペースをやった。明日のANNは誰がやるのかという話をしたり、ここ2年のあれこれを懐古したり、4時間ほど他愛もない話をして終わった。

 

次の日、用事を済ませるために1週間ぶりに都内に出た。帰りの電車内で、先天性の疾患の治療のための入院が中止になったことが知らされた。大学に入学してすぐに予約していた手術だった。わたしの春休みの予定は全て白紙となり、わたしの膝の未来は分からなくなった。これから先、2ヶ月も治療にあてる余裕はできるだろうか。ニュースアプリがまた過去最多を更新したことを通知した。

わたしの手術は特別急いでいた訳ではない。10年以上前に発症して、何度か手術をしつつも生活は送れている。ちょっとずつ、いろいろなことを諦めてきたけれど、もうとっくに慣れている。それでも久しぶりに心が折れそうになって、誰かと外食をしたり遊んだりしている友人たちを見たくなくて、リア垢からログアウトした。悪いのは彼らではない。誰も悪くないから辛かった。ドーナツ屋でたくさんテイクアウトした。

 

夜にはいつも通り、ANNが放送された。

ANNは、2020年4月4日の初回から、1週も欠かさずに放送されている。

自担のいない土曜日は、実に1年と307日ぶり。95回、自担は有楽町あるいは日本のどこかで、ツアー中でも舞台中でも、90分の生放送を回し続けてきたわけである。

 

第3回の放送が過ぎたあたりの自担の入所日に、記事をひとつ書いて公開していた。いろいろと思うところがあって今は非公開にしているが、ANNへの期待を込めたエントリだった。デビュー前後のアレコレで彼の言葉のひとつひとつに緊張していた頃で、生放送のANNではもう少しラフな言葉が聞けるだろうという話を書いた。まだ個人ブログがなかった頃、本当の意味でのデビュー後の世界を知らなかった頃だった。

実際には生放送においても自担は鉄壁で、あらゆる方面に出来うる限りに気を遣った言葉を紡いでいる。台風や地震などの災害による速報が入ったことも何度もあったし、いろいろと難しいタイアップの仕事のときも、気を配りつつプライドを持ったアナウンスをしてきた。わたしは彼のそういう配慮を欠かさないところと、必要以上にへりくだらないところが好きだけど、災害を含めて、自担があまり気遣いをしなくて済む世界になって欲しいと心から思う。

 

ずっと見守ってきたかのような口ぶりだが、わたしがこの2年弱でANNを聴かなかった回数は、正直言うと数え切れない。最近は割と聴けているが、去年の上半期は本当に酷かった。

きっかけは自分の大学受験だった。それまでTFなどを使って欠かさず聴いていたものの、精神的に切り替えをしたくて、ミュージックソンの直前の回を最後にしばらく離れることにした。

進学先が確定するまでしばらくバタバタし、そのまま4月に入った。ツアーに行けないことと、慣れない大学生活と自分の進路への迷いがトリプルパンチになって、聴けない回数は増えた。わたしは元々ゴリゴリの夜型なので、土曜の23時半に起きていないことはほとんどない。とにかくメンタルの問題だった。

気付いたときにはラジオをつけて録音していたけれど、結局録音データは一度も開いていないし、そもそも録音し損ねることの方が多かった。Twitter自体薄目で見ていた時期でもある。ツアー中のホテルからの放送を聴いた覚えがない。現場に対するこだわりは強くないと思っていたのだが、そうではなかったらしい。

半年ほど前にJr.にハマって多名義を駆使し積みまくっている友人をみると、わたしは現場に入るための努力をしていないし、そこまでしたいと思わないのも本音だった。彼女のような努力が正当だとは思っていないが、そうさせる環境については少し考えてしまう。

話が逸れたが、あらゆる意味で上半期はしんどいことが続いて、アイドル関連以外についてもほとんど記憶がない。一昨年からプレイしているソシャゲがあるのだが、その間確かに推しのイベントがあったはずなのに何も覚えていなかった。スペシャル月間もイマイチ記憶に乏しい。何をしていたのか本当に分からない。

 

7月に入って、1年半ぶりに現場に行った。別界隈のアイドルのライブだった。その1週間後に別Gの配信ライブも観た。そのまま夏休みに入って、運良く舞台リレーをすべて1公演ずつ鑑賞することができた。それでも日生に行った頃には後期の授業が始まって忙しくなっていて、楽しかったこと以外あまり記憶できなかった。

その頃ちょうど先のツアーの円盤が発売され、フラゲ日には我が家に到着した。けれど開封して中身を確かめ、フォトブックをしばらく眺めたまま仕舞い込み、未だに鑑賞していない。30分以上の映像を集中して観ることが難しくなっていた。朝ドラは短くて楽なのでどうにか観れているが、この2年間に放送されたメンバー出演作のドラマはいずれもみれていない。もっと気軽にみればいいのだが、それがどうしてもできなくて、いつまで経ってもわたしのツアーが終わらない。1年前に無観客の配信で観た記憶がわたしにとっての最後のライブである。幸いにも今ツアーはチケットが取れて少しは昇華されるかと思ったが、それ以上に画面に2時間向き合い続けるのがしんどい。

ちなみにわたしのチケットは4月の公演のものだが、状況によってはどうなるか分からないし、自分の入院日程が再度設定された場合には参戦が難しくなる。当初の予定でもギリギリだった。もしかしたら、自分の膝とツアーとの2択を迫られることがあるかもしれないし、どちらを選んだとてまた流れるかもしれない。

 

ANNでの自担はやっぱり隙がない。音楽誌*2でのコメントが印象的だった。ANNはラジオショーでありプロレスとしての側面が強く、仕事そのものの話をすることは比較的少ない。その分真面目な話はリリース前後の外部でのラジオでまかなっている構図だ。たまに、特にセンターとの回だと真面目な話をすることがあって、自担の舞台期間中の、同期の彼をゲストに呼んだSPWよりも、その次の放送の方が舞台についてという観点では内容が充実していた。今後いつか、グループの誰かが仕事について奥深く話せるようなラジオをやることになっても、それは自担の役割ではないだろうなと思う。でもそれで良くて、ANNでやっていることがいつか自担の目標を叶えることに繋がると信じているし、毎週生放送ができるのは事務所全体を見ても非常に貴重なことだ。緊急事態宣言下でも変わらず彼らの声が聴けたこと、彼がたくさんのラップをつくってそれが全国の地方局で流れたこと、終わり際に新曲を解禁してそのまま夜が明けたこと、ANNきっかけで素敵なコラボがみれたこと、彼らの選ぶ曲が聴けること。余談だが、今でもわたしのスマホで「た」と入力すると、予測変換でラップご当地番宣のタグがサジェストされる。

 

計算上ではあと3日で自担が療養から復帰する。自担のいない土曜日がまた訪れる。

今のところは本人からのブログ更新はないけれど、最初の発表でも無症状だと書いてあったし、5人の話を総合するにきっと元気なのだろう。どうか3人とも後遺症がないことを祈り、これからもまた罹らないことを祈るしかない。

自担のいない96回、97回を経て、あとひと月も経てば100回になる。わたしは何度彼と過ごせる時間を無駄にしてきたのだろう。

自担がテレビに出ていることが分かっているのに布団から起き上がれず、数週間経ってダビングしてそのまま仕舞い込むのを1年ほど続けている。リリースのプロモーションのために、メンバーがラジオで大切に話しているのを知りながら、タイムフリーの期限は切れる。

 

はじめて自担を認識した日から丸3年が経った。

彼と空間を共にした時間は半日にも満たない。

 

例え何公演入ったとしても、アイドルの彼らと会えるのは1年のうちほんの少しで、そしていつか会えなくなることも、わたしたちはお互いに分かっている。

いつが最後になるのか、もしかしたら今日が最後なのか、あの日が最後だったのか、別れはいつも唐突で、気付いたらもう二度と会えないまま終わってしまうこともある。

 

だから彼らは歌っていて、彼らは音楽を真剣にやっている。

冒頭の彼の言葉を借りるならば、アイドルが音楽を本気でやるのはすごく当たり前のことなのだと思う。

 

わたしたちは音楽を通して、何度でも彼らに出会える。日々の暮らしのために会えない日が続いても、思うように身体が動かなくても、同じ場所に居られなくても、意思があれば時間を共にできる。

時間も距離も飛び越えて、彼らはすべての人に歌い続ける。ほんの数分に想いを込めて、今まで出会ってきた人たちに、これから出会う人たちに、今どこかで想っている人たちに、何度でも。

いつまでもどこまでも届くように、短い時間を少しでも心地よく共有できるように、願いを込めて。

 

 

 

 

(4033文字)

*1:POTATO2020年9月号

*2:音楽と人2021年8月号