その眼差しの彼方まで

アイドルと音楽と日記

231002

この文章では、故ジャニー喜多川氏による性暴力問題について触れています。新会社を設立し、マネジメント機能を移すことが2023年10月2日付で発表されましたが、(マネジメント機能を担い今後「ジャニーズ」の代わりになるであろう新会社の社名は決定しておらず、)この文章を書く上で必要な固有名詞であるため「ジャニーズ」という言葉を使用しています。

 

この問題に対しての気持ちと考えは、7月に書いたこの記事の内容からほとんど変わっていない。そしてこの半年、ずっと過去のことを考えている。

rspp.hatenablog.jp

 

Twitterで、この問題についての事務所の対応への怒りをツイートしていたら設置している匿名サービスに「ヲタクも知っていたんだから同罪(要約)」というメッセージが届いた。かなり露悪的な内容であり、じゃあ同罪だったら何なんだよという話なのだが、知っていたかどうかについてはBBCのドキュメンタリーが出たときから考えている。

 

私が今のようなジャニーズのタレントのオタクとしての生活を始めたのは2019年の春である。しかしジャニーズとの出会いはもっと前で、それこそ記憶がない。物心ついたときからテレビっ子で、キラキラした面白い人が好きだった。だから小学生の頃は嵐の冠番組の録画を消化することに休日を費やしていたし、10歳のときにはアイカツ!というアニメに夢中になった。アイカツ!で描かれるアイドル像は、明らかにジャニーズが作ってきたアイドル像を意識している、と私は思っている。その後忙しくなるにつれてテレビの視聴時間は減ったが、それと時を同じくして母親がV6のファンになって、彼らの20周年コンサートが私にとって人生で初めての現場だった。テレビの中のキラキラした面白い人たちであったジャニーズに、実際に会える場があることをそれまでもわかっていたはずだったが、自分もそれに足を踏み入れることが可能だと知ったのはそのときだった。

2019年の春、SixTONESSexy Zoneに出会った。ザ少年俱楽部という番組があることを知って、初めて視聴したのと同時だった。Sexy Zoneはデビューが早かったため存在は認識していたが、ちゃんと出会ったのはこのときである。当時、映画「少年たち」が劇場公開されていて、それを観に行った。ジャニーズのことを知っていたはずなのに、知らないジャニーズの世界がそこにはあった。映画「少年たち」が作品的にどうかは置いておいて、この無茶苦茶さ、巷で言われるトンチキさが私の興味をそそった部分は少なからずあると思う。

そして2019年の夏にジャニー喜多川は死んだ。訃報が出る数日前から容体が悪いことが報道されていて、学校で、同じくジャニーズが好きな友達と、彼の脳みそを冷凍保存するべきだみたいなことを冗談で宣った覚えがある。これは普通に、相手が誰であろうと人権意識がない発言であり、反省している。ただ、そのくらいジャニー喜多川というのは謎めいており、権力があり、才能があった。そしてただのファンに過ぎない私がそう思うくらいにはメディアの環境は完成しており、タレントも彼のエピソードを語ることに疑問を持つ余地はなかったのだろう。お別れ会が執り行われることになり、暇な高校生だった私は長蛇の列に並んで東京ドームに足を踏み入れた。人生で初めて行った東京ドームのアリーナの、シート越しの芝を踏み締めた感触が未だに忘れられない。彼がプロデュースしたアイドルたちの映像が延々と流れ、帰りにはスタッフからポストカードが渡された。タレントもまた彼との別れを告げ、ほぼすべてのタレントが写る集合写真が拡散された。当時の首相が弔電を送ったのには流石に疑問を持っていたが、世の中の空気がどうだったのかはあまり印象に残っていない。

前後してSixTONESのデビューが発表され、Snow Manと共にジャニー喜多川が決めた最後のデビューだと言われた。タレントの発言によれば、2019年3月に行われた公演でSixTONESのデビューが決まったという話だったが、いつしかSnow Manも同様だということになっており、それについて憤るファンも少なくなかった。正直この2組の同時デビューについてはいろいろブラックボックスになっていて、事実の追求などには私はもう興味がないが、かなり曖昧な部分が多いのは事実だ。誰がデビューを決めようが今考えるとどうでもよい気がするが、当時はそうではなかった。私も、インターネット上でそれを口にしたことはないはずだけれど、滝沢氏よりもジャニー氏が決めたデビューのほうが価値があるように感じていた。詳細は省くが、当時滝沢氏が行っていたプロデュース方法について私はかなりムカついており、「ジャニーズにおける最高権威であるジャニー喜多川が認めた」グループであることを心の支えにしていたと思う。この夏の24時間テレビと、デビューを直前にした紅白歌合戦ではジャニー喜多川の功績を讃える追悼コーナーがあって、SixTONESはそのどちらにも出演した。紅白ではめちゃくちゃジャニー喜多川の話をしたのに、それと入れ替わりで放送されたジャニーズカウントダウンでは、少なくともオンエアではジャニー喜多川の話は一切されなくて、逆だろと思った覚えがある。ジャニー喜多川が亡くなって以降しばらくは、ジャニー喜多川が最後にデビューを決めただの、最後にデビューさせただの、最後のスペオキだの、最後にグループ名を付けただの、いや本当に彼のオキニだったのはこのグループだの、そんな話が多かった。これはジャニオタだけでなく、メディアでも扱っていた話題だ。

 

大荒れのデビューを乗り越えている間にCOVID-19が現れて、暇になった。ジャニー喜多川がセクハラ問題に関連した訴訟を起こしていたことを知ったのは、おそらくこの時期だと思う。暇を持て余してインターネットをし続けて、2019年10月に発行された「ユリイカ11月臨時増刊号 総特集*日本の男性アイドル」の存在を知って、読んだ。この本には、2004年の訴訟を踏まえて書かれた論考がいくつか収録されている。このユリイカは2019年の男性アイドル事情が色濃く反映されていて、今目次を開くとたったの4年でここまで様変わりしたのかと驚いてしまう。この本を読んで、ジャニー喜多川による性加害がある噂を知った。訴訟についてもインターネットで調べたが、当時の足りない頭で理解できるだけの情報には辿り着かなかった。そしてそのまま、放置した。ただ、たまに人権意識がちゃんとしているオタクがいて、その人たちはアイドルが世界進出への意欲を見せると、この問題を事務所が解決しない限りは難しいのでは…と発言していた。私はというと、どう思っていたのだろう。事務所や日本社会の人権意識が限りなく低いことも分かっていて、諦めていたような気もする。結局は目先のエンタメを優先したと言われても仕方がないし、実際そうだったんじゃないかと思う。

2021年夏にSixTONESのメンバーが毎年帝国劇場で上演されている「DREAM BOYS」に出演したのをきっかけに、ジャニーズにおける「内部舞台」といわれる作品の上演にはできる限り足を運ぶようにした。これは男性アイドル史に興味があって、戦後の男性アイドルを作ってきたジャニーズの世界観を少しでも知りたかったからだ。滝沢秀明プロデュース作品では2021/2022ドリボと2022ジャニアイに2022少年たち、加えて2022/2023Endless SHOCKも観に行った。滝沢氏がジャニーズを離れてから今年の1月に上演されたジャニワも観に行った。ただしチケットを取り忘れたり都合がつかなかったりしてえび座だけは観れていない。

去年の少年たちで、最後のほうにジャニーさんが愛したうんぬんみたいな語りがあった。それまでの3年の間もことあるごとに「ジャニーさん」エピソードは語られていて、気付かぬ間に食傷気味になっていたのか何なのか、そこで私は「金払って見に来てんのにもう死んだ人間の話するのやめてくれないか?」「目の前にいる観客はジャニーではなく私なのでは…?」となったことがきっかけで、ジャニーを絶対的な存在として見る価値観を自分のものとしてはおけなくなった。滝沢秀明プロデュースへの私の評価は未だに地の底レベルだが、滝沢氏やジュリー氏と相対化してジャニーのプロデュースが常に正しかったと主張する一部のオタクたちに納得いっていなかったことも理由の一つではある。V6やSixTONESの結成の経緯を見るに「ジャニーの判断は必ずしも正しいものではなかった」ことは明らかで、これはその他のグループについても似たような部分がある。基本的に週刊誌の記事は読まない、いかにもジャニオタ的な情報収集をしている私が、タレントから語られるエピソードのみをソースとして感じていたことだ。タレントがオモシロとして語る一部のエピソードにもちょっと引いていた。具体的なエピソードを詳述することはやめておくし、今となっては後出しでしかないけれど、Twitterでオモシロエピソードとして再拡散することはできないと思った。けれどTwitterでその違和感を書くことはなかった。ただ、この気持ちの変化と前後して、元々ジャニーあるいはヒロムと書いていた*1が、ジジイとかじいさんと書くようにもなった。ジャニー喜多川が死んでからのこの4年の間に私は成人し、酒が飲めるようになり、ジェンダーフェミニズム社会学についての浅い知識も増えた。ジャニー喜多川に対する評価と見方が変わったのは、そういった自分自身の倫理観が更新されたことも影響している。

このあとに滝沢秀明が電撃退社し、キンプリの一部メンバーの脱退と退所、三宅健の退所がそれぞれ発表されて、そんな中でBBCのドキュメンタリーも出て、いろいろすっ飛ばすと今日になる。ジャニーズ事務所は改名し補償に専念し、タレントのマネジメント機能は新会社に移るという。ファンクラブ宛にメールはおろかウェブサイトですらこの件について説明がないのに、いきなり新社名公募について案内が来るのだろうか。

ファンに責任があるかといわれると分からない。少なくとも全く無関係ではない。ジャニー喜多川氏を絶対視する環境は確かにあって、私はそれの一部だった。私はもうジャニーズという言葉を口にしたくない程度には嫌悪感があるけれど、結局被害者のことよりも今後の自分の楽しみを考えての結論のような気もする。

前述したユリイカでは、ジャニー喜多川がこの世界に与えた影響についてたくさん語られている。ジャニーズによって、男性も消費される側になり、女性は消費者になった。私はジャニーズ以前の世界を知らない。今日の会見で、事務所はジャニー喜多川の痕跡を消すと宣言していたけれど、きっと現実には無理だろう。少なくとも男性アイドル史を語る上では、日本だけでなく世界全体としても彼の存在を抜きに語ることはできない。だからジャニーズが憎くて仕方ない人たちはこれまでと変わらず叩くだろうし、ジャニオタはまだ名前も知らない何かをジャニーズの残滓として愛していくのかもしれない。分からない。そしてこれほどまでの権力と才能を持ちながら、忌むべき名前になってしまった彼の罪を許すことができない。彼の功績と罪は表裏一体で、だからこそ苦しくて許せない。そして自分の中で、自分の気持ちとどう折り合いをつけていくべきなのか分からない。

この問題はジャニー喜多川だけの話でも、ジャニーズ事務所だけの話でもなく、戦後の日本社会の問題である。ミソジニー、ゲイフォビア、ジャーナリズム、性犯罪の軽視、性被害者への偏見、ひとつひとつ挙げればキリがないくらいには様々なことが絡み合っている。被害者の救済を第一に、同時に少しでも世の中が良くなってほしいと思う。私も、子どもの人権が尊重される社会のために、やるべきことがある。

 

 

ジャニーズが作ってきた文化への批判は、この問題が表沙汰になるより前から存在している。ミソジニーに端を発するジャニーズ/ジャニオタ蔑視はもちろん、彼らのパフォーマンスレベルに対する指摘もたまにある。そのほとんどは的を外していると思う。けれど、アイドルという文化を愛しているけれど、このアイドル文化が戦後の日本の悪いところの煮凝りで、とか言われると、なんかよくわからなくなってしまう。私は所謂アーティストを好きになったことがない。分からない。ポップなものへの批判がどこまで正当なのかずっと分からない。分からない。私はポップでないものを知らない。ジャニーズより前の世界も、ジャニーズがいない世界も知らない。分からない。

 

 

 

*1:私は基本的にタレントを含め、呼び捨てで表記することのほうが多い