ある界隈では、推しているメンバーのことを「1pick」と呼ぶらしい。視聴者は数多のアイドルから、ただひとりをpickする。
わたしの「好き」は自分で選ぶものだから
あなたを好きでいたいっていう 願いの言葉で意思の言葉だから*1
アイドルを語りたくて、デビューツアーに行ってすぐ、このブログを開設した。
140字には収まらないことを書くために、タイムラインの内外にいる誰かと出会ったり、出会わなかったりするために。閲覧自由の置き手紙のようなものだ。
遡ること10日前、私は北海道にいた。
もう汗ばみ始めた東京から遠く離れ、雪の残る真駒内を歩く。
熱気の籠ったアリーナから外に出ると、ひんやりした空気が心地よかった。
2年ぶりのSixTONESのライブだった。
「好き」って 誰かを特別に思う気持ちって ある日突然どこかから降ってくるようなものだと思ってたんです
自分ではどうしようもないような 出処のわからない大きな気持ち
でもわたしの「好き」はたぶんそうじゃなくて
自分で選んで手を伸ばすものだったよ*2
今でも昨日のことのように、SixTONESを選んだときのことを思い出せる。
私にはたくさんの好きなコンテンツがあって、その中でもSixTONESは常に鮮烈だ。
遠く煌めく星をなぞる。アイドルは時に私を鼓舞してくれるけれど、床でへばりながら聴くには彼らの姿は眩しすぎる。それでもアイドルの歌が大好きだ。勝たなきゃいけないときは彼らの歌を聴いた。*3
どこまでも鉄壁な彼の喋りが好きだ。彼の喋りは彼のマインドそのものだから。
MCでドームに行きたいねという話になったときも、嬉しいけど寂しいよね、とファンの気持ちを慮ることを忘れない。
誰かを熱狂的に好きになったことなんてない、焦がれたことなんてないとスッパリ言い切る割に、アイドルの規模が大きくなることが、ファンにとってはただ嬉しいだけではない*4ことを知っている。ライブは喧嘩だと言いつつも、結局優しい。
けれど、助詞のひとつひとつにまで意味を込めて、観測者が抱くそれぞれの偶像を意識した言葉の根底にあるのは、プライドとしたたかさなのではないか。
SixTONESは俺らじゃないんです
……ちょっとペン借りていいですか?(と、『ST』と書き入れた大きな円の外側に、取り囲むように小さな6つの円を描く)
俺にとってSixTONESは概念、信仰的な何かで、俺らはそのために集められた6人っていう感覚なんです。で、ファンも俺らと一緒に、SixTONESを囲んでここにいるっていう*5
SixTONESの、彼のファンに対する思いの強さに疑いの余地はない。ないけれど、この「ファンも俺らと一緒に、SixTONESを囲んでここにいる」というのは、彼がファンの立ち位置を指定していないとはいえ、ちょっと違うと思っている。
私からすれば、SixTONESを囲んでいる6人の外側、私が立つ場所との間には、確かな隔絶がある。くっきりと、はっきりと。
Imitation Rainの演出が印象的だった。今回披露されたのは、年始にYouTubeで公開されたTHE FIRST TAKE版で、白い布の向こうで、そこに映った影だけを見せながら、音だけを伝える、という構図だった。
布の向こうは全く見えないわけではない。モニターに映し出された映像によって、ほんの少しではあるが垣間見ることができる。ただ、私の目に直接映してはくれない。
これこそがアイドルだと思った。
ライブに来ているわけで、本来ならば全て生身の身体表現を魅せるものなのかもしれないが、私にとってはこれこそが「SixTONESと私」の構図だった。
視覚情報を絞ること以上の目的などないのかもしれない。けれど私は「SixTONESと私」の間にあったその隔たりが嬉しくて仕方がなかった。SixTONESのための隔絶であって、私のための隔絶でもあって、絶対に越えることができないもの。
私の思いもよらぬことを考えて、いつか叶えてどこかに行ってしまいそうなところ。私を騙しきって、置いていって、いつかその光で焼き切ってくれそうなところ。ファンのことを思ってくれているのは知っているし、そういうところが好きだけど、究極的には私のことを選ばないであろうところ。
この隔絶こそが、私が彼らを選んだ理由だと思った。
私には絶対に越えられないその向こうから届く眩い光を愛している。
どうしようもない私のことも、憎くて大好きなこの世のすべても、その光で全てを焼き尽くしてくれそうな光が大好きだ。これのおかげで生を実感していると言っても過言ではない。
新千歳空港を歩きながら、バキバキした曲なんてほんのわずかだったあのライブで、こんなことを考えていた。
自分が手を伸ばしたあの日から、私はずっと選び続けている。今までも疑ったことはなかったが、やっぱり間違いなかった。
私の選んだアイドルが最強で最高でごめん。
いつか彼らがただの友達になって、私と彼らの関係に名前がつけられなくなったときまで、どうかよろしく。
私の選択の連続を肴に、ひとりで高笑いしてやる予定なので。