その眼差しの彼方まで

アイドルと日記

幸福な出会い【前編】

先月20日の夜、私は国立代々木競技場にいた。

HiHi Jetsの単独ライブ「五騎当千」に参戦するためである。

 

HiHi Jetsのライブは「Summer Paradise 2020」以来2回目、リアルのやつは初めて。代々木は2回目。前回はV6の20周年コンサートで、人生初のライブだった。

 

席はメンステ向かって左側の2階スタンド。程よい傾斜から、アリーナいっぱいに作られた花道と、YouTubeで見覚えのあるバンクが良く見えた。

 

 

 

ライブの終盤、猪狩が言った。

「誰よりも速く、誰よりも自由に、誰よりも派手に」

 

 

2021年のアイドル界で「誰よりも自由に」と叫ぶことの意味を考える。アイドルに過剰なまでの管理が求められる時代に、自由を思慮する聡明さ。そしてそれを声高に叫べるのは、若さだと思う。

 

6年前の2015年、V6が20周年を迎えた年、SixTONESが結成された年、私は中学1年生だった。

なんでもできそうな気がしていた。実際できないことはあまりなかった。子どもと大人を分けるものがあるとすれば、ひとつはこの全能感を失うことだと思う。歳を重ねても、限界を前にしても、それでも先に行く勇気を持ち続けるのは容易いことではない。

 

6年経って19歳になった今、限界を感じることが増えた。15の頃から調子の悪い精神のせいなのか、環境のせいでそう見えているだけなのか、本当に限界がすぐ目前にあるのか、今の私には分からない。月日を重ねるごとに未来に描けることが消えていく。今は足元さえも暗い。足取りは頼りなく、一歩踏み出そうとすると迷いが押し寄せる。身動きが取れなくなっていく。もはやどこが前なのかすらも見えなくなった。馬鹿らしくて情けない。

 

同い年の彼を見ていると、憧憬と羨望と嫉妬が蠢いて、いてもたってもいられなくなることがある。この3つは似ているようで違うもので、常に揺れ動き、混ざり合い、私の目前に何も無いことを突き付けてくる。

彼は今、若さとその先の狭間にいる。若さと引き換えに経験が手に入る。経験は助けにもなるが、人の足を踏みとどまらせるのは無知よりも経験だと思う。それでも一歩足を出せるかどうか。

すべてを溶かし焼き尽くしていくだけの熱。現状を把握した上で、それでもアクセルを踏むこと。その先がたとえ崖でも翔べば良い。

 

 

五騎当千のときは平気だった。流れるようでありながら、隅々まで充足感に満ちたライブだった。まだ先のキャリアが長い彼らが、これほどまでのライブを作ってしまうことが頼もしくもありおそろしくもあった。とにかく本当に楽しかった。

 

帰りの電車の中で反芻する中、真っ先に思い浮かんだのは、中央の長い花道をメンステに向かってまっすぐ滑っていく猪狩の姿だった。

どこまでも走り抜けていきそうで、そのうちに跳んで、翔んでしまいそうで、双眼鏡を覗き込んでも見えなくなってしまいそうだった。

 

 

猪狩が言った。

「誰も置いていきません」

 

 

こんな文を書いている人間がいることを知ったら、彼はどう思うのだろうか。こんなことを思わせないくらいのエンタメをつくらなければと息を巻くだろうか。

それなら彼の願いは既に果たされている。少なくともこの公演中、私は自分のことを気にも留めなかった。

課題は私の中にある。

 

 

幼少からキャリアをスタートさせるアイドルと自分を単純に比較すべきではない、そもそも比べることそのものがおこがましいと宥める自分がいる。今の自分に迷いしかないから惨めになるのだろうと刺してくる自分がいる。

 

どこかに行ってしまいそうな人が大好きだ。私の向ける光なんて意に介さず、自分の輝きを大切に持って、ここから出ていける人。そうすることができるのに、ここから離れない人。光を増やすことで「ここ」を広げようとする人。

私のことなんて見限って、早くどこかに行って遠くで誰かと笑っててくれよと心から思う。置いていかないで、私にその笑顔を見せてくれよとも思う。

地面にへばりついてしまった身体を放り出して、どこまでも翔んでいけたらどんなにいいだろう。

早くどこかに行きたい。ここではないどこかへ。

 

 

けれど私は、今床から見る景色が嫌いじゃない。いや、本当は早く起き上がって外に出たいけれど、今ここにいて動けないからこそ見える景色を、どうにかして愛したい。

6年前に見ていた景色は思い出せなくても、あの頃には想像もしなかったことを、今の私は知っている。その全てが幸福なわけではない。捨てられないものも増えた。でも今だから見える風景があるのではないか。

浮き沈みを繰り返し、起き上がってみてはへばるのを繰り返し、踏み出してはうずくまるのを繰り返し、走っては疲れて座り込む。マイナスをゼロに近付けるためのリフ。

手放せないものが重荷になったとして、それを無理矢理捨てて翔べたとしても意味がない。それも含めて自重である。

 

どんな形であれ、全てを乗せて進み続けるアイドルが好きだ。

今まで出会ってきた人、これから出会う人、今どこかで想っている人、空間と時間を問わず誰も置いていかない。19歳の少年がやるにはあまりに壮大で、重くて、もっと自分のために足を使ってくれよと思う。何も背負わなくていいから、遠くから見せてくれるだけでいいから。けれどそう宣言できるのが彼であり、アイドルであるということなのかもしれない。

 

同い年の彼にどんなに薄汚い感情を揺さぶられようと、彼との出会いは幸福だと断言できる。これは紛れもない事実だ。私はアイドルという職業をやる人が好きだから。

2019年に田中樹とSixTONESと出会って、その先にいたのが彼だった。私が彼を自担とすることはまだできないけれど、私は彼のことが好きだ。認めざるを得ない。心からカッコいいと思う。音にノリながら花道でステップを踏む姿が忘れられない。打ってて本当に恥ずかしい。こういうところが自担にできない理由だろう。

 

 

 

まだ床から離れられる気がしないけれど、遠くで駆けていく彼の姿を私は見ている。

目指す先を決めた人を、共に往く仲間を持つ人を、自分の足跡を愛している人を。

 

いつか自分の歩みに自信を持てるようになったとき、後ろにある不格好にうねった跡を心の底から愛せるようになったとき、私は彼の目を見て何を思うだろう。

 

 

 

 

読まなくても問題のない後編

rspp.hatenablog.jp

 

 

 

 

(2569文字)