こんにちは。
デビューから半年経って、このエントリへのアクセスがまた増えています。
(できれば一度読んできてください)
「良いブログ」として評価(なのか?)されていることについては有難いなと思うし、半年経っても誰かの記憶に残っている事実に驚いています。それと同時に私の意図しない方向に読まれている可能性について不安になってきたので、急遽補足としてこのエントリを書くことにしました。
まず、あのエントリで私が伝えたかったことは主に3つ。シンプルだね。
- アイドルも私たちもお互いに未来に責任は取れない
- その言葉、本当に公開インターネットに書いてもいいのかな?
- まず自分の環境を整えよう
他にも色々書いてはいるのだけど、この3つだけは取り違えないで欲しい部分です。
一応私としてはこの通りに読めるように書いたつもりですが、婉曲的な表現が多くて伝わりづらい部分はあります。もしかすると、誤読を招いたかもしれない。
そして今回補足すること。
- アイドルも私たちも、お互いのことを全て引き受ける必要も義務もない
- 誹謗中傷や文句と、感想は全く違うものである
- 公開インターネット、特にTwitterで発言するリスク
このあたりについて書いていきます。
アイドルにどう向き合うか
これについてはこのブログで散々書いているので興味があれば他の記事も参照してほしいのですが…。
まず、アイドルも私たちも、お互いに未来についての責任はとれません。
もちろん、彼ら自身には良いものをつくる責任があるでしょうが、それは私たちが今現在に払ったお金や時間に対する責任ではないでしょう。
そして、アイドルも私たちも不変ではありません。アイドル自身が変化することももちろんあるだろうし、私たち自身の状況によってアイドルの見え方が変わるのも当然の話です。
この愛がいつ冷めるかもわからないし、私の求めるものと推しのくれるものの間に隔たりが出来ないか、毎日不安で仕方ない。推しの活動に永遠がないように、私の愛にも永遠があるとは言えない。どうせ責任は取れないのだから、もう少しポジティブで居てもいいような気はするけど、どうしてもこれが言えない。
これから何年SixTONESが続くのか分からないけど、多分私の中のSixTONESが占める割合も膨らんだり小さくなったりするだろうし、いつか消えてしまうことがあるかもしれない。
多少の気持ちのブレはありつつも、今もこの思いは変わらないかな。
私たちは所詮他人で、どんなに長い時間を共有しても、想いを重ねたように錯覚しても、別々の人間である以上は、別々の道を歩く日が来る可能性がいつも横たわっている。
そして、お互いに「こうあってほしいな」という期待を抱くことも仕方ないと思います。私たちは人間だから、想像力があるから、「もしこうだったら/なったら嬉しいな、面白いな、もっと好きかも」と想いを巡らせることは当然だと思うのです。
アイドルに期待をしないようにファンをやるのは本当に難しい。私も一時期試みようとしたけれど、毎週土曜日のオールナイトニッポンを楽しみに毎日を頑張ったり、次のシングルは「Yellowキラキラ」なのかな?と考えたり、次はどんなワクワクをくれるんだろう?と思ったりしないでファンをやるのは、無理でした。無理です。できない。苦行が過ぎる、というか不可能だった。
当然期待をすれば、自分の理想と現実とのギャップに悲しみを覚えることもある。そう感じてしまった自分に辛くなることもある。
でも、悲しんでもいいんじゃない?と私は思います。
ファンだからといってアイドルのすべてを引き受ける必要はないし、アイドルもファンのすべてを引き受ける必要はない。好きな人の何かを受け入れられないことはつらいし、そして悲しい。けれど、相手のすべてを引き受けないことは相手の否定ではないし、アイドルがファンの想いを引き受けなかったとしても、それはファンの否定ではない。受け入れられなかった悲しみを押さえつける必要もない。自分の小さな手にのせられないものを見送らざるを得ないことも、時にはあると思うのです。
期待してしまう自分も、お互いに別の道を歩く日が来る可能性も、そのとき悲しんでしまう自分も受け入れて、そのうえでアイドルを愛するということをやりたいな、と私は思っています。すごく難しいことだけれど、それでも今のところは、私の精神衛生のためにこの方法を選びたい。
そして、いつか違う道を歩き始める日が来て、そのとき彼らの歩みを祝えなかったとしても、呪うことだけは絶対にしたくない。
ファンの発言のさまざま
私がデビュー週のエントリで書いたのは、「アイドルのため」と言いながらTwitterで変化を求め、更には攻撃的な物言いをするのはダメじゃない?という話です。
他人に変化を求めることは傲慢だと思っています。
自分の欲望に自覚的な要求ならまだしも、「あなたのためを思って」はただの支配欲の発露でしょう。
「あなたのため」じゃなくて「自分の思い通りになってほしいから」ってちゃんと言え。自分の欲望をぬるい言葉で包もうとするな、目を背けるなと思ってしまう。
この欲望の果てにあるのが誹謗中傷なんじゃないの?
自分の欲望を相手にぶつけたい、その自覚を持ったうえでそれでも変化を求めるならば、相手に伝えるための手順を踏むべきだと私は思います。エゴサありきでご意見をぶつけるなというのはこういうことです。
アイドルが自分の理想と違うことをすることもあるでしょう、あるだろうしそれに悲しみを覚えるのは仕方ないことだけれど、怒るべき相手は本当にアイドルなんですか?
めちゃくちゃな気分になってきたな。
前項で書いた「期待」とこの「変化の強要」は全く違うものです。
Twitter公開アカウントで書いた時点でひとりごとに分類できるとは思わないけれど、「こうなったらもっと嬉しい/楽しい/好きかも」のような、相手に伝える*1ことを意図しない期待を語るのは、未来を想像して語ることは、自分の影響力*2をどう使うのかちゃんと考えた上でなら、誰も止めることはできないと思うのです。
もちろんその明るい夢が結果的にどう働くかは分からないし、もしかしたら彼らを苦しめるのかもしれない。けれど、それでも私たちが期待してしまう生き物である以上、これらを語らないことは不可能なのではないでしょうか?期待なくしてアイドルとファンは存在しうるのでしょうか?
期待しないなら、どうしてCDを複数枚買うんだろうか?どうしてMVの再生回数を気にしたりするんだろうか?Billboardでチャートインさせることは、ファンの期待の結果じゃないならば何なんでしょうか?
私は、自分がどうしようもなく身勝手な期待を抱いてしまうことを受け入れたうえで、自分の行動と言葉に責任を持ちたい。
評価と感想とその他諸々
ファンは評価すべきでないみたいな意見には全く同意しません。
もしかしたら「文句があるならファンレター書け」が「インターネットでオタクは評価すんな」に読まれているんじゃないかと思った(被害妄想です)のでこのエントリを書いた次第です。
ただ肯定的/否定的関係なく、評価*3を公開インターネットに書くときにはそれなりの姿勢が必要なんじゃないの、というのが私の意見です。
結局のところインターネットでの発言に責任を持てという話なのですが、よく知りもしないものについて、伝聞で分かった気になって言及するのは対象に不誠実です。評価の内容にかかわらずちゃんと向き合うのが筋だと思います。
そう思うけれど、私は、否定的な評価をTwitterに書くことは私にとって難しすぎるので、基本的にはやりません。
140字で誠実な文章を書ける自信もないし、ツリーで繋げたとしても大抵の人はちゃんと読んでくれないと思うから。
これはものすごく感覚的な話なので共感が得られるかは微妙なのですが、Twitterって読み手として誠実になるのが難しいんですよね…。
ブログや外部の長文投稿サービスならば「これから読むぞ」という気持ちになれるんですが、TLに長文が流れてきても「読む姿勢」を作りづらい。目が滑る。肯定的な文章ならまだしも、否定的な文章だと身構えてしまって、ちゃんと文意を取ることがより難しくなる。
そして書き手としても、どんなに言葉を尽くしても一部のツイートだけを切り取られるのが怖いし、その切り取った言葉を自分の意図しない方向に曲解して、更にはタダ乗りしてくる人が確実にいるのがTwitterです。つまりはリスクが高すぎる…。
こういったリスクを背負ったうえで、誠実な評価ができる人は本当にすごいなと思います。
まあそうはいっても、本人たちに対する批判はほぼやらないにせよ、運営側に対して微妙な気持ちになることはたまにあるし、そのときは外部サービスを使って書くこともある…。
おわり
疲れたら自分の置かれた環境を見直しておいしいご飯を食べて良い布団で寝よう!布団は大事だよ!!!!
私はマジでめちゃくちゃ周りの影響を受けやすいので、Twitterは極力TLに流れてきたもの以外みないし、検索はほとんどしないです。自分のTLが世界のすべてだと思わなければ自分の領域をどうしようと勝手でしょう。
自分と自分の好きなものだけ見てやっていくぞ!!
改めて書くけども、このエントリは「私はこう思う」という話であって、提案でも押し付けでもありません。あなたの気持ちの整理に役に立つことがあれば嬉しいけれど、私の言葉をそのまま飲み込むことは危険だと思います。そう思う人もいるんだ〜くらいで受け取って欲しい。
とはいえ、インターネットで公開している以上は、何か良いほうに働いてくれればなあと思わないと言ったら嘘になります。でもそれは読んだ人が判断することであって、この文の通りにしろとは思わないです。けれど責任は持つ。責任を持ちたいと思ったから、この補足を書きました。
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