その眼差しの彼方まで

アイドルと日記

【考察】私と私の愛するアイドルと【後編】

今度こそ本当に完結します。ホントだよ!

 

今回はこれの続きからです。

⑨アイドルを消費すること、アイドルを好きでいることについて悩むことはありますか?(記述)

 

鬼ほど長いけど、前編から読んでくださいね!!

rspp.hatenablog.jp

 

ここまで前編も入れて約二万字超、ようやく本題に入れます!長かった~~!!!バカ~~~~!!!!

 

 

 

 

前置き

アンケートを締め切ってから丸1か月以上経ってしまいまして、いくら趣味でやってるとはいえちょっぴり申し訳なさがありますね。単純に生活が変則的で時間が取れなかったのもあるのですが、自分としてもいつも以上に真剣に向き合ってちゃんと書くべき題材だと思い、何度も推敲を重ねました。

私はこういう考え方をすることで私の生活をより良いものにしたい、そういう宣言も含めた文章です。

一応前置きをしておきますが、私の意見は誰かへのスタンスの強要ではないし、提案もする気はありません。こういうやつもいるんだな程度で。

 

 

 

なぜ私は「アイドルの消費」についての悩みに向き合おうとしているのか

最初に、私がこの話をする理由とスタンスについてお話しておきます。


まず前編にも書きましたが、彼らが私たちにくれるものは「サービス」で、私たちがやっていることは「消費」であるというスタンスです。彼らがやっていることはビジネスであり、我々はお金を払って楽しんでいる。問題は消費が行き過ぎてしまうこと、それによって彼らを傷付けてしまわないか、という不安のもとに生まれたのがこのアンケートでした。

 

この悩みと好きであることは両立しうるかという話ですが、結論から言うと私はできます。特にこの半年くらいはほぼ毎日アイドルの消費について考えているものの、その間推しに対する「好き」という感情が損なわれたことはありませんでした。けれどおそらく人によるだろうし、消費に対する罪悪感がアイドルを見ている間の楽しみを上回ってしまったら一度距離を置くことも必要かも。

また、彼らがこの仕事について本当はどう思っているかなんてわかりませんし、彼らの仕事に対するスタンスについては彼らの言葉を信じるのが大前提なので、覚悟を疑うようなことはありません。もし、今正直に言えていなかったとして、いつか教えてくれるような世界になっていたら嬉しいし、ずっと胸の奥にしまっておきたいのならそれを尊重します。

この「消費によって傷付けてしまわないか?」という問いは無意味なのかもしれません。けれど私は彼らのことが好きだからこそ、彼らを傷付けないために慎重でありたいし、アイドルという概念を愛しているからこそ、お互いに摩耗しないアイドルとファンの在り方を探っていきたい。こういうと聞こえがいいかもしれませんが、実際は私がいつまでもアイドルを楽しんでいたいがために、自分のファンとしての在り方を見つけたいのです。結局は自分のためなんですよ。

 

この営みが必要なことかと言われると正直あまり自信がないというか、まず提案を目的としていないので…。フォロワーにも言われたけれど、難しく生きようと思えばいくらでも難しく生きられるというのは本当にその通りなんですよね。考えすぎている部分も否めない。別に深く考えなくとも、結局は相手と自分のことを大切にできればいい。自担に言われた通り、素直にラフにやっていけるのが理想ではあるけれど、明確な基準を求めてしまう性格なので多分オタクである限りは一生やっていくと思います。アイドルに限らず、アイドルに関わる人間の尊厳を守っていくためのものだから。

そしてこの問いがどこかにたどり着くことはできなくても、ずっと考えていきたい。それが私にとっての誠実さなので…。

 

 

 

消費行動がもたらす影響

 

ファンダムの影響

自分の欲望をTwitterで発することが本人の行動に影響するかもしれないことについてたまに悩みます。

悩むことばかり。本当に業の深い娯楽だと思います。現実に存在する人間に対して、外野から勝手にあれこれ想像したりしてテンションが上がったり、力をもらってること、結局はお金を払うことでしかそれに対して返す方法がない。もちろん要望や投票の力もわかりますが、結局それも売れていくためのもの、または結果的にそうなるもので、お金が動く存在でなければアイドルとして存在し続けることは難しいこと。でも、アイドル側が大衆に対してひとりひとりに対するような言葉を使って、ライブでひとりひとりの顔を見るような仕草でうっかりその悩みも救ってくれるように勘違いしてしまうからすごい。距離感を履き違えないように気をつけながら、その姿をこれからも見せてくださいって思います。

消費することについては悩みます。自分の都合の良い側面だけを切り取って解釈していると感じることもあり、ある種、イマジナリーフレンド化しているような気がします。
若手によくあるのですが、ファンや事務所が求める方へ寄せすぎたゆえにマリオネット化しているアイドルもいます。(需要に応えた方が、手っ取り早く数字に繋がるため)本人の理想と現実の乖離にもがく姿は観ていて心が痛いときもあります。アイドルを苦しめているのはファン自身なのではないかと。

ファンに幸せを届けようとすればするほど本人が幸せになれないのではないか、好きの方向性を間違えたら応援すること自体が本人に悪影響を及ぼすのではないかと考えることはあります。
だれよりも幸せになって欲しいからこそ悩みます。…まあ幸せにしてあげられるのもファンだと思うのでそこまで悲観的に考えてはいませんが!笑

応援を形にすることで、彼(又、彼の所属するグループ)の力になると考える反面、その応援が重荷にならないか心配。

彼らがやりたいようにやる世界をみたいのにどんどん見てるサイドのファンが貪欲になって変な立ち位置からアドバイスというよりも理不尽なクレームに近いものを言われているのを見るとファンの存在ってどうあるべきなのか悩む

ファンの欲望を取捨選択するのはアイドル自身であるということは前提ですが、ビジネスなのでより数字が出やすいほうに傾いてしまう。その一方で、自分のやりたいことをやってほしい…という葛藤。

 

性的消費

性的な要素(ダンスの振りなど)を売りにしてこられると悲しくなってしまう。もっと自分自身を大切にして欲しいと思う。

アイドルの性的消費には基本的には抵抗があるのですがたまに楽しんでしまっている自分もいて、そのボーダーラインが自分でもわからず悩んでいます。反応に困るので基本あまり見ないようにしています。

行きすぎた性的描写(腰振りなど)が得意ではないので見ているとなんとも言えない気分になってしまうのと、本人たちもそれについてどう思っているのかがたまに気になってしまいます。

性的消費についてはよく分からないというのが、今現在の正直な気持ちです。勉強中。

ちょっと前に、アイドルが性的表現をしたときにキャー!と反応するのは「そういうもの」だから、といったニュアンスのツイートを複数見ました。これはめちゃくちゃわかるし、現状私もそうしているのだけれど、果たしてこのままでいいのか…?と思わなくはありません。本人と私たち含め、何かが損なわれないラインというのを探っていきたいけれど…。

 

彼らの仕事と倫理

また、アイドルを使うコンテンツそのものと価値観の相違がある場合、どうやって向き合っていくかというのは、特にジャニーズにおいてはかなり重要な問題だと思っています。

自分の倫理観に合わない仕事が辛くて悩む。いつか政権と関わったりすることがあったら自分は冷静でいられるのか、好きでいられるのか心配。前記で自分の倫理観と書いたが、与えられた仕事が世間一般の倫理(人種差別やフェミニズム等)とのズレが見えたときやそれが一般の人に見つかったときが怖い。そのようなとき矢面に立つアイドルを守ることができない無力さが憎い。

コンテンツの倫理観に問題がある場合、アイドル自身に責任は発生しない(起用したコンテンツ制作側やその仕事を受けた事務所に問題がある)と思うのですが、その辺をごっちゃにして非難されてしまうこともまあまあ珍しくない話です。本当、自分の無力さと世界が憎いばかり…。(政治についてはまたの機会に…)

 

ファンにとっての焦点のひとつは、推しにそういう仕事が来たときにどう受け止めるか、ではないでしょうか。推しのために消費行動を起こすというのも、自分の倫理観を考えるとできないというのもどちらも自然な発想だと思います。そのコンテンツの何を評価して消費したのかは外野からは計り知れないものですし。ただその影響がどう働くか?という点で懸念はありますね。難しい。 

 

私たちの消費とその影響

ここまで見てきた「ファンダムの影響」「性的消費」「彼らの仕事と倫理」は、全て地続きだと思っています。

コンテンツを消費する際には何が目的なのか、その背景に何があるのか、それによって何かを失わないか、そういったことをしっかり確認しながらやっていかないとまずいんじゃないかという気持ちが、日に日に強くなっている。

 

アイドルの楽しみ方は多様であるべきだけれど、その消費は、本人と私たちに、そして社会に何をもたらすのか?

 

本人がやりたいことならばやって欲しいのだけれど…、いや「本人が本当にやりたいかどうか」というよりは、「それによって何かを大切なものを損なわないか」という表現のほうが良いかもしれません。アイドル自身も、私たち自身も、ひいては社会に至るまで。娯楽とはいえ、私たちが生きる現実の上にあるものです。

アイドル自身の今後と消費行動は直接的に結びつくため、どうしてもジレンマはあるけれど、推しが関わっているからと盲目に消費していくのは、取り返しのつかないことになりそうで怖い。ちゃんと精査した上で、何を選びとっていくのか決めていきたい。

 

今年の頭にあったVS売りもひとつの例でしょう。私はあのとき、どうするのが正解だったんだろうか。

後悔はないものの、事務所全体の状況を見ると未だに、たまにですがこの問いが頭をよぎります。

 

私たちは完全な観測者になることは不可能で、多かれ少なかれアイドルに影響を与えています。お金を出すかどうか、インターネットで何を書き込むかはもちろんのこと、無料コンテンツだけ楽しむにせよ、全てのものに数字がつく時代です。YouTubeの再生を1度しただけであろうと、一度いいねを押しただけであろうと、一つ一つの小さな行動が立派なムーブメントになってしまう。

その影響力をどう使っていくか、毎回ちゃんと考えていくことが何より重要だという思いが強くなっています。ただこの点において明確な基準がないのはご存じの通りで、各々の倫理観と良心に従って見極めていくしかない、結局は自分で自分を許せるかという点でしか計れないということも事実です。もちろん、結果的に何を選ぼうと個人の自由だし、何を評価して消費したのかは外野から推し量れるものではないということも前述の通りなのですが。

それでも最初に書いたように、何か明確な答えにたどり着くことはできなくとも、この営みは決して無駄ではないと信じながらアイドルのオタクをやっていく、そういう気持ちでいます。

 

たかが娯楽、されど娯楽。彼らのみせるものがフィクションであろうと、全て私たちが生きる現実に根差したものであることを、絶対に忘れたくないな~という気持ちでいます。

 

 

 

複雑で曖昧な

アイドルの恋愛と結婚

「結婚すればいい」と共演者から言われた時に「ジャニーズやもん(だからできない)」と当たり前のようにサラッと言った時にあぁ、人生かけてるなと改めて感じて胸が苦しくなったけど、いざ結婚ってなったら悲しくなっちゃう自分も嫌でした。周りが恋愛してて自分がアイドルにハマってることにも不安ばかりです

アラサーに近づき、現実的に結婚適齢期が近づいている中で、恋愛を避ける理由や道具として、アイドルを好きでいる部分も少なからずある気がするのでそんな自分が嫌になります。
また、こうやって私が結婚について悩むように、彼らもそんな年齢だし、周りにも既婚者が増えているでしょう。
アイドルとして彼らがしたいことを僅かな力ながらも助けられるのは応援したい!という気持ちで動く私達ファンであり、彼ら自身のそれぞれの人生を自由に歩む上での障害のほとんどは私達のためだとも思っています。
アイドルという職業柄、『仕事だから』だけで片付けられないほど彼らの人生を縛っているのは私達で、果たしてこうして好きでいることは、本当に彼らの幸せなのか、と考えてしまうときがあります。

頭では分かっているつもりでも好きなアイドルの恋愛事情はあまり知りたくない。知ってしまったら落ち込んでしまう。こういう感情を抜きにして楽しく応援できたら、と思う

アイドルと恋愛や結婚って本当に難しいですよね。

仕事と恋愛、籍を入れているかどうかは関係ないだろという思いはありつつ、人生において重要な経験のひとつであることは否めない(そしてアイドル像と本人の人生経験は切り離せないことも)。

アイドルは恋愛・結婚をするべきではないという風潮もまだまだ根強くあります。結婚というものがファン心理にもたらす影響というのは本当に様々だし、アイドル自身がファンを失うリスクを考え、籍を入れない選択をするのも選択のひとつ。疑似恋愛体験を商品化している以上、それを楽しむ人だってたくさんいるわけで、既婚者にそういった感情を向けられないという人は私の周囲にもいますし。ファンの欲望が様々であるからこそ、難しい判断だと思います。

個人的にはアイドルの恋愛や結婚について世間が好き勝手言うたびに、恋愛・結婚至上主義、異性愛規範だ~と思ってしまう。私的な関係性を外野が雑に扱うことが暴力でなくて何なのだろうとも思うし。

 

それとは別に、疑似恋愛を楽しんでいる人ではなくとも、彼らの恋愛事情を知ってショックを受けてしまう人ってまあまあいるんじゃないかなと思います。ショックを受けてしまっている自分にさらにショックを受けてしまったり。悲しいときは悲しいと言っていいと思うし、その感情は誰にも侵せないもの。悲しい・つらい=否定ではない。でもそういってると外野におちょくられたりな!!とはいえお祝いムードを作ったほうがいいのではないかという気持ちもあり、実際にお祝いムードが作られていく中で自分は…とより悲しくなってしまったり。

私自身疑似恋愛タイプのオタクではないけれど、正直に言えば推したちには結婚してほしくない気持ちのほうが大きいです。価値観の相違という点のほうがデカいかもしれない。友達とかならそういう選択をしたんだね、良き選択になるといいねというだけで済むんですけど。友達でもなく、恋愛対象でもなく、彼らが私の世界の中でなんとも形容しがたい位置にいるからこそ起きてしまうすれ違いというか。

推しの選択を否定したいわけではないのは前提ですが、仕事と恋愛・結婚は関係ないやろうが!と言ったそばからプライベートにおける価値観に悩むあたり、本当に身勝手だなと思います。正直自担が結婚して動揺しないかと言われたら自信はないです。私はそのとき何を思うんだろうなあ。

 

アイドルの物語

アイドルに自分の苦しみを投影している自分が時々嫌になります。きっと私が思うより強い人たちで、私が思うより苦しい経験をしてきた人たちだと思うのですが、結局人間は自分の尺度に落とし込むことでしかアイドルというものを理解できないんだなあと無力感が溢れたりします。

たまにあります。アイドルのファンって、アイドルが経験してきたことを、明るいことも辛いことも全部エンタメとして消費してるところがあると思うんです。私自身もそうだと思ってます。生身のアイドルが辛かったことを、シリアスな漫画を楽しむのと同じような感覚でエンタメ化している気がして、とても申し訳なく思う時があります。うまく伝わったでしょうか…? 

相手も生身の人間なのに、崇拝対象として見ることへ少しばかり後ろめたさがあります。自分が気持ちよく生きるために道具として消費してしまっている感覚。彼のことが心の底から好きなことは間違いないんですが。難しいです。

ひとりの人間の人生を消費してしまうことについてのお悩みが数多く寄せられました。

アイドルは、しばしば彼らの人生や感情を商品として扱われます。もちろん彼ら自身も、言いたいことと秘密にしておきたいことの線引きはしていると思うのですが、それでも彼らの大切なものを、何の関係もない大衆に見せてくれること、そしてそれをエンタメとして扱ってしまうことに伴う恐ろしさは日々感じています。誤解を恐れずに言うならば、彼ら自身の消費は暴力にほかならない。

 

私が思うに、アイドルをみることと、小説なり映画なり漫画なりメディアによる体験の間には似たものがあります。鑑賞は第二の創作であるといいますが、アイドルを見ることも、創作活動の一つでしょう。なぜアイドルを見て感動するのか?アイドルについての私の記憶の蓄積と、その間を補完する私自身の想像力があるから。

 

では、アイドルの語り手とは誰か?それは彼ら自身であり、メディアであり、私たちでしょう。

 

今現在、このネット社会においてオタクにとってのコミュニケーションベースはだいたいTwitterです。このブログだって根っこはTwitterですし、公式Instagramも、雑誌の記事も、テレビ出演も、全部いつだってTwitterがベース。まあInstagramではまた別の文化圏があるのでしょうが…。

彼らが語った彼らをファンが再度語りなおしていく、そういう営みがあるんですよね。何年も前のエピソードが何度でも語り直され、ファンによる物語が増幅し強固なものになっていく。

 

アイドルを好きだと語るとき、それはアイドルを好きな自分を語ることと同じ。

アイドルを好きな理由を突き詰めれば、行き着く先は自分自身です。

私たちはアイドルの物語を自分の尺度でしか計れないし、もしかしたらそれは真実とは違うかもしれないけれど、それでも、その自分の体験も愛していきたいなあと思うんですよね。自分がアイドルに触れた体験と、アイドル自身の両方を尊重するために彼らの言葉をちゃんと読みたいし、彼らの歌に耳を傾けたいし、彼らのパフォーマンスを目に焼き付けたいし、語るときにはしっかり向き合いたい。結局これも行き着く先は自分で自分を許せるかでしかないけれど、他人だからこそ生まれるいろいろを…。

 

私とアイドル

前の項で「友達でもなく、恋愛対象でもなく、彼らが私の世界の中でなんとも形容しがたい位置にいる」と書きましたが、私(たち)にとって、推しって一体何なのでしょうか。

 

彼らが成功を収めたとき、私たちは自分のことのように喜ぶし、同時にエンパワーメントされることもあるかもしれないし、一方で彼らに良くないことがあれば悲しいし、傷付けられたら自分のことのように傷付いてしまう。

誰でも彼らと時間を共有出来るからこそ、蓄積された記憶によって自分と重ね合わせやすいからこそ、距離感を見失いやすく、自他の境界が曖昧になりやすい。

私たちはそれぞれ影響力を持つからこそ、アイドルに何かを求める。よいことを招くことも、そうでないこともある。

 

観測者側の話をしましょう。 

個人的に、アイドルを追うのって自分の生活の何よりも低コストで済むんですよね。

もちろんお金と時間はかかるのですが、誰かとコミュニケーションを図る必要もないし、人間と向き合う必要もないし、私自身が何か努力をする必要もなく、何もしなくても受け入れてくれる。

これだけならほかのコンテンツと変わらないのですが、三次元の実在アイドルは実際に同じ時間を共有することで、心が通じているような、実際に頑張っているのは彼らなのに、まるで自分が何かを得たような、そんな錯覚を覚えることができる。Twitterはこの感覚をさらに増幅させるし、溺れすぎるとあんまりよくないんだろうなということはなんとなくわかります。

 

今回のアンケートでも、推しを応援するのが先で自分の生活が疎かになってしまうというお悩みも少なくありませんでした。

私としては、アイドルだろうがなんだろうがコンテンツを日々の生活の糧にするのはいいことだと思うし、必要なことをちゃんと出来ていれば何に自分のリソースを使おうが自由だと思います。ただ私は、それを前提にしても、もう少し自分の生活を頑張りたいなあとも思うし、難しいですね…。

好きなものを突き詰めれば自分自身に行きつくし、オタクの話を突き詰めると生き方の話になってしまうな…。

 

 

前編や中編でも「自分にとってのアイドル」について見てきましたが、アイドルとファンの数だけその関係性は多様です。リアルな人間関係と同じように。

以前も書きましたが、アイドルとファン、ひいては人間と人間のかかわりにおいて、相手のことを見るのは不可能だと思っています。常に相手を捨象し、自分自身の中に偶像を抱えている。同じアイドルをみていても、私とあなたがどんなに親しかったとしても、私とあなたが抱える偶像はまったく違うもの。私とあなた、そしてアイドルは違う人間だから。

 

取捨選択の自由は在れど、ファンの抱える偶像をあつめて、自分自身との境界を溶かして光をみせるのがアイドルなのだろうな、少なくとも私の見ているアイドルは程度に差があれどそういう意識を持ち合わせているのだろうな、と思っています。ステージというのはそういう場所なのでしょう。不特定多数を前にして偶像を抱えてよいと宣言すること、そしてその偶像を引き受けることを称賛していいのか、私にはわからない。おそろしいとも思うし、そして同時にとてもうつくしい。

 

私とあなたとアイドルは多様で複雑で、その関係性に同じものはひとつもありません。アイドルに惹かれる理由も、好きである理由も、信じ続ける理由もひとそれぞれ。

その違いに、価値の差はあるでしょうか?当然ながら答えは否です。

私は彼らをより深い意味で恋愛対象として意識することはできないし、私のように彼らの生き方にどうしようもなく惹かれてしまうのを理解できない人もいるのだろうけれど、各々の思いの形なんて関係なく、全ての人に等しく特別に接するのがアイドルという人たちなのかもしれないなと思っています。アイドルがファンのことを見つめる姿が世界で一番好き。

アイドルと、一方通行、非対称――うまい言葉が見つからないのですが、ただほかと少し違う関係にある――私たちをみて滑稽だと笑う人もいるのだろうけど、まあもしかしたら実際そうなのかもしれないけれど、外野が雑に扱っていい感情なんてないし、私はアイドルと、彼らに出会ったすべての人の体験を大切にしていきたいなあ。

 

 

 

おわりに

何はともあれ、アンケートへのご協力ありがとうございました。もしかしたら回答した皆さんにとっては思っていたのと違う形で結果が使われてしまったかもしれません。また何かしらやるような気がするので、そのときはもっといい感じにできるようにします。

 

たくさんの回答を読んで、私が皆さんと違うなあと思ったのは、彼らを見てむしろ頑張らなくなったってことでしょうか。

現在の自担たちに出会う直前は、オタクはお休みして自分の生活だけをやっていたのですが、色々頑張りすぎてそのまま終わりになりかけてたところで彼らに出会いました。それまでは誰かに認められるために生活を頑張っていたなかで、頑張らなくても楽しむことが許される場が得られたことで、変なしがらみがなくなったというか。自分の生活の様々において、社会の基準を内面化し適合しようとしてめちゃくちゃ苦しかったのだけれど、今は自分のためにやれてる、ような気がする。

とはいえバランスはなんとか保てているものの、どちらかといえば推しに偏ってしまっているのは事実なので良くないなあとは思っています。でも自分の生活だけやると健康が損なわれるし、どうすっかな!wという感じです。元々偏りやすい気質だし、自分の人生全体を見つつ上手くやっていくしかないのかな。難しいね。

 

私はアイドルに依存したくないんですよね。推し(アイドルではない)相手に一回やらかしたことがあるので…。けれど以前ある人に言われた「良い依存もある」という言葉がずっと引っかかっているし、自立は依存先を増やすことだとも言うし、実際依存先がなかったころの私はダメになってしまったわけで。結局は依存しすぎて傷付いたり傷付けたりするのが怖いから、他の足をみつけようとしているだけなんだろうな。

 

 

ここまで番外編込で全4回に分けていろいろ書いてきましたが、行き着く先はアイドルと言えど自他の尊重が大事、ということでした。

アイドルの消費をとりまく状況は目まぐるしく変わっていくし、分からないことだらけだけれど、彼らをできるかぎり傷付けないためにこれからも色々勉強していきたい。根っこの部分はお金だし、ビジネスだけど、それに付随する様々なものを愛していきたいなあ。まあ私が一番信頼する関係は利害関係なんで。

 

アンケートそのものを締め切ってから1ヶ月以上延ばした上、結果と直接関係ない話をグダグダやっているこの記事を読んでくださる方がどのくらいいらっしゃるのか果たして…という感じですが、読んでくださってありがとうございました。真面目な話を書くのは楽しいけれど、公開インターネットには書けないことも多くて大変でした。

 

じゃあこんな感じで、本編は終わりです。長いことお付き合いいただきありがとうございました!

 

 

 

 

 

 

 

「幸せになって欲しい」

私は、アイドルに何を祈るのか。

 

アイドルの選択は、私の倫理に反することでなければできるかぎり尊重したい。辞めたくなったら辞めても構わない。法に触れなければ何をしようが彼の自由だろう。私は合理性のない社会規範とか同調圧力の類が一番嫌いだし、合わないと思うことがあってもそれを否定する権利はない。

けれど、その一方で、(ずっとジャニーズで、)ずっとアイドルでいてほしいし、ずっと私の好きなものを保ってほしい。できるだけ波風のない安寧を願ってしまう。

 

相反する思いを、ずっとずっと抱えている。

アイドルをひとりの人間として尊重したいと言いつつ、その実、私の願いは身勝手だ。

 

アイドルは誰かに見られたとき、アイドル自身の手から離れてその人の心の中で生き始める。私の中で生きるアイドルは、本物のアイドルの姿の一部をうつした人形で、生きていると思うのすら幻覚なのかもしれない。でも、確かに私の世界で生きている。

 

他人にこうあってほしいと願うことが、怖い。私の期待で誰かを壊してしまうことが、怖い。偶像が崩れるよりも人間が崩れるほうが怖い。私の中で生きるアイドルを生かすのは、私の外の世界の本物の人間だから。

 

 

アイドルが「幸せ」になるとき、そこに私の姿がなくとも、私の想像の外側で彼らが幸せになっても、それでも私は「幸せになって欲しい」と願えるのだろうか。

私がどんなに、どんなに彼らの幸せを願っていたとして、結局のところ私にとって利益になる範疇での幸せしか願えないのではないか。アイドルの幸せは私の幸せだなんて、欺瞞なのかもしれない。

 

私にとってはとてもよくは見えない方向に、アイドルがそこには幸せがあるんだと言って進もうとしたとき、私はその人に何を祈るのか。その先の未来で、私の好きなものが見られなくなることを、私は受け入れられるのか。

 

いや、受け入れられなかったとして、祝福できなかったとしても、もちろん彼らは歩みを止めないし、そしてアイドルと同じくらい私自身を大切にするために、悲しいときは悲しいと言いたい。

 

 

それでもせめて、アイドルが履く靴に呪いをかけないように。 

あなたがこの広い世界のどこかで、あなたの思う幸せを手にできるように。

 

 

 

私は何を祈るのか。